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THIRD DAY

 ずっと以前から、一度は見てみたいと思っていた「ウーゼーニュのピラミッド」はシオンの南、エランスの谷を数キロ入ったところにあります。
 再び、車をスタートさせた私たちは、チナールへ行く前にその「ピラミッド」を見るためにちょっと寄り道する事にして、南に進路をとりました。ヴァレールの丘から街を見下ろしていた時、エランスの谷への道筋を確かめていたので、迷うことなくエランスへの道に入りました。
 左手後方にシオンの市街を見下ろしながら、山の斜面を高度を上げて走ります。すぐにヘアピン・カーヴが現れました。今度は右手にシオン市街を見下ろします。何度となくヘアピンカーヴを回って高度を稼ぎ、上りきった辺りにヴェの村があり、ここから道は二手に分かれました。右の道を取るとエレマンスの谷へ、左はエランスの谷となりますが、実際には谷はまだ分かれておらず、ウーゼーニュのピラミッドで二つに分かれます。私たちは左の道を選びました(実は道なりだったのですが)。

 エレマンスの谷の最奥には、世界一の高さを誇るグランド・ディクサンス・ダムがありますが、今回は時間が足りないので、またの機会に訪れたいと思います。こんな風に次回にと見送ってきた場所がいっぱいあります。谷を左に見下ろしながら斜面に作られた道を南下すると、向こう側の斜面の上にも小さな村が見えました。
「あんな所にも家が…どうやってあそこに行くのかな?」
小さく教会の尖塔が見え、その周りに家並みが広がっていった様子が分かります。午後2:00、ヴェから約5km程の所で前方に何やら変な岩が見えました。
「あれは…」
そう、それがウーゼーニュのピラミッドでした。近づくに連れそれは左の車窓に移り、数本のトゲが山の斜面から突き出てきたような岩の造形が、自然に出来た物の様には見えませんでした。
 ここで谷は二手に分かれます。道路は左にグルっと大きくカーヴしました。正面に短いトンネルが現れ、そのトンネルの上に奇妙な形のトゲが生えていました。天に向って伸びる尖った岩の上に、帽子をかぶったみたいな岩が乗っていました。
「何とも変わった岩やのう…。」
父も興味深げです。車を停めた私はトンネルの向こう側にも行ってみたり、ピラミッドの周りをうろちょろしたところ、ここからローヌへと続く谷が良く見えることに気付きました。このピラミッドから左右に分かれていた谷がひとつになり、ローヌの谷に合流します。自然の造形とは面白いものです。

 再びシオンに戻って、そこから高速道路「N9」に乗りました。きょうの目的地、チナールへ向う為にシエール(ドイツ語でジーデルス)まで走ります。高速道路はここで終わり、そのまま国道につながっていました。シエールもローヌの谷間に発展した街で、ここがフランス語圏の下ヴァレー地方とドイツ語圏の上ヴァリス地方の境になっています。シエール市街を過ぎてすぐにチナールへの道路標識があり、そこを右折、アニヴィエールの谷の最奥へつながる道に入りました。
 天気はまたどんよりとして来ましたが、走る車はほとんど無く、本当に快適です。エランスの谷に入って行った時のように、シエールの市街を見下ろしながら山道を登ります。何度もヘアピン・カーヴを回り、どんどん高度を上げていきます。エレマンスの谷と左程変わらない風景だなと思って走っていると、俄然、走る道の斜面が険しくなってきました。目の前に迫る垂直にそそり立つ岩壁の迫力は言葉ではなかなかうまく伝えられません。私は1990年にバイクで走ったシェーレネン峡谷を思い出しました。この絶壁にへばりついた道をポストバスも走っているなんて何となく不思議です。

 谷底を右手に見ながら、小さな村を幾つも通り過ぎました。故新田次郎氏の著書「アルプスの谷 アルプスの村」の中で氏がクラシックなポストバスでチナールへ行かれた時の記述にあるように、まず教会の尖塔が見え始め、それから村の家並みが見えてくるというそのままの情景が続きます。
 私は安全運転を心がけていましたので、そんなにスピードは出していませんでした(それでも70km/hくらい)から、途中、何台かの車に追いつかれました。私はスピードを落として道の端により、追い越してもらいましたが、制限速度が80km/hという事もあり、地元の車はこの山道を90km/hくらいで走っているようです。スイスの道路はかなり整備されていてスピードを上げて快適に走れるのですが、それにしてもちょっと速過ぎますね…。

第3日目の走行マップ

 森を抜けてヘアピン・カーヴを走り、さらに高度を増していきます。
 午後3:00頃、三方を山に囲まれた何も無いような所に、不意にチナールの街並みが現れました。村の入口には左手に駐車場があり、右手にロープウェイの駅と郵便局もあります。私は郵便局の前が広くなっていたので、そこに車を停めました。初めて訪れる上に余り情報を持っていなかった私は、とりあえず観光案内所を探す事にしました。道路の反対側に村の案内板があったので、そこに載ってるだろうと思い車を降りました。
 外に出ると冷たい冷気が清々しく感じました。チナールは標高1675mですからツェルマットよりも高い所に位置し、シオンの491mから比べると気温もかなり下がっていました。流石に山国スイスです。僅か1時間余りで1100m以上登ってきた事になります。村の奥の方には、雪をいただき、村を見下ろすようにそびえる岩山、ベッソ(3668m)が曇り空にもかかわらず良く見えます。「双子の山」を意味するこの山は、よく見ると頂上が二つに割れている双耳峰です。

 村の案内板に観光案内所の場所が載っていました。それはこの案内板の横にある建物でした。なぁんだ…隣か…。車に両親を残し、私は案内所に入りました。
「こんにちは。」
カウンターに人はいませんでしたが、呼びかけると中から金髪の若い青年が出て来ました。
「安いホテルを探してるんです。」
「今はシーズン・オフですから、空いているホテルは少ないですよ。」
おまけに軍隊も滞在しているらしく、あるホテルは軍隊で一杯だそうです。それにしても、ホテルの紹介をしているのかいないのか、一応、数軒のホテルとそれらの場所を口頭で教えてはくれましたが…。私はホテル・リストを片手に案内所を出ました。

 そこから歩いて1分とかからない、メイン・ストリートに並行して走るもう1本の道にあるひとつ星のホテルに入ってみました。古い木造の味のあるホテルで、地上階はレストランでした。まだ営業時間ではないのか、店内は暗く誰もいません。レトロな雰囲気で渋いカウンターにも人の影はありませんでした。
「Hello?!」
…返事がありません。私はもう一度、呼んでみました。すると中から中年の金褐色の髪の女性が出て来ました。
「Bonjour.」
お、フランス語だ。
「ボンジュール。今夜、泊まれますか?」
「???」
おや?英語が通じないぞ。
「あー…、ルーム、トゥナイト…。」
片言の英語しか話さない(ほとんど全然話さない)マダムとこんな風にしばらくやり取りし、部屋を見せてもらったりしましたが、狭いツインルーム(シャワー付)ひとつしか空いておらず、部屋に簡易ベッドを入れるというのですが、3人でとなるとかなり狭くなりますので、ちょっと考えると言ってホテルを出ました。「ちょっと考える」というのを伝えるのもかなり苦労しました。

 一旦車に戻り、今度は母と一緒にそのホテルと観光案内所の間にある二つ星ホテル、Pointe de Zinalに入ってみました。今度は英語が通じます。
「部屋を見て決めて。」
と、マダムにカギを二つ渡されました。3階(日本では4階)のツインルームとシングル、トイレ・シャワーなしですが、ひとり40.00SFRという安さです。部屋は狭くても清潔で、車もホテルの前に停められたのでここに即決しました。

チナールのホテル Pointe de Zinal

 チェック・インの後、チナールの村を散策する事にしました。
 村に到着した時から、所々に軍人さんがいたのですが、今度は行進している隊列が谷の奥に向って歩いています。この村のどこかにスイス軍の基地でもあるのでしょうか?
 一見平和に見えるスイスも永世中立国としての軍隊を持ち、自国は自分達で守るという意識が根強く残っているように感じました。あくまで私は戦争や争いには反対です。戦争をするための軍隊も必要だとは思いません。しかし、平和な日本でのほほんと育ち、モラルも無くしてしまった多くの日本人たち(私も含む)に、本当の平和とは何かをもう一度問い質すべきなのだと思いました。今の日本は本当に平和と言えるのでしょうか?

 チナールの村は、ねずみ返しの付いた、この地方独特の風情ある穀物小屋が数多く残っています。穀物小屋だけでなく、住宅そのものも昔のままの姿で残っている様です。静かな村のたたずまいに、心を洗われる思いでした。私の顔と肺の中に流れる冷たく涼やかな冷気と、ほのかに漂う家畜の香り…。時折り聞こえてくるカウベルの響き、道端のレストランで大声で話している人たちの声と軍隊の歩く靴音…。昔ながらの村の家並みと、少しずつ高くなるように見える、雪を纏った霊峰ベッソ…。
 この平和なアルプスの山村で、面白いミスマッチな情景が目の前に広がっていました。

第3日目の走行距離:159.4km

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